
華原朋美がグラドル時代の収録中に激怒して帰ったことがある、
とナインティナイン岡村隆史が「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」で暴露しましたね。
華原朋美といえば、90年代を代表する歌手の一人ですし、
代表曲の「I’m proud」は誰もが耳にしたことがある名曲です。
そんな華原朋美が、若かりし頃に
収録中に激怒して帰ってしまうとは、
一体何があったのやら・・・
怒って帰ってしまった理由について調査しました!
グラドル時代の華原朋美
華原朋美はグラビアアイドル時代、
「遠峯ありさ(とおみね ありさ)」という芸名で活動していました。
グラドルとして活動していたのは1995年までで、
以降は「小室哲哉プロデュース」の歌手として活動を始めました。
つまり、グラドルとして活動していたのは21歳までの期間ということですね。
年齢が若かったということもあって結構血の気が多かったようですね。
収録中に激怒して帰ってしまった過去
この事件(?)があったのは1994年。
今田耕司と東野幸治とナインティナインの
『天使のU・B・U・G(てんしのうぶげ)』(フジテレビ)の特別番組
『今田東野ナイナイの芸能界ダメならぬがねば!!』(フジテレビ)
でのことだったそうです。
ざっくりとした番組の内容としては、
まだまだ知名度が低いアイドルたちを集めて、
今田と東野を中心にトークを展開したり、
様々なゲームを行なったりする、というもの。
番組の企画の中で、水中ジェスチャークイズがあったのですが、
そこで息が続かなかった華原朋美(当時は遠峯ありさ)が、
スタッフが止めるのを聞かずに怒って無言で帰ってしまったそう。
無言で、というあたりが怒り度合い高いですね^^;
それにしても、他のアイドルたちも居ただろうに・・・
ちなみに岡村は
「あの時の朋ちゃん怖かった」
「水中でジェスチャーするんですが、苦しかったんでしょうね。すごい子いるなあと。」
と当時を振り返っています。
問題の番組への出演動画
こちら、遠峯ありさが当時出演した動画です。
企画内容は「水中カルタ取り」。
・・・もしかして、件の事件があったため、
水中ジェスチャーは動きがあって息が切れやすいため、
比較的動きが少ないカルタに変更になったのでしょうか・・・
しかし、グラドルとして活動していたのが〜1995年。
番組に出演しているのが1994年。
一般的にも、この番組から輩出された著名人として名が挙がっている通り、
この番組で体を張ってアピールしたからこその
「小室ファミリー」での歌手デビューだったのではないでしょうか?
当時は血の気が多く、ついつい帰ってしまった華原朋美も、
今では懐かしく思いつつ番組やスタッフさんたちに感謝していることでしょう^^