
旭化成の吉野彰(よしのあきら)氏が
「われわれの生活に革命を起こした。
化石燃料が不要な社会の基礎を築き、
人類に大きな利益をもたらした」
として、ノーベル化学賞を受賞しましたね!
ANNでは、速報ニュースで吉野氏の会見の様子を公開しています。
リチウムイオン電池自体はずっと前からある印象があります。
調べたところ、やはり25年も前から出来上がっていたもので、
今回改めてその存在のIT革新への影響力が認められ、
ノーベル賞受賞に至ったようです。
そんなリチウムイオン電池を生み出したのが吉野氏です。
吉野氏の気になる経歴や学歴、
出身地や小中高の学校について調査しました!
吉野彰(よしのあきら)のプロフィール!
名前 | 吉野彰(よしのあきら) |
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生年月日 | 1948年1月30日 |
年齢 | 71歳 |
出身地 | 大阪府吹田市 |
家族構成 | 既婚 |
71歳にしてノーベル賞受賞!
それは本人も、奥様もさぞ嬉しかったことでしょうね!
吉野氏は、
二次電池の小型・軽量化を実現したリチウムイオン電池は世に出て約25年、そして1995年から始まったIT変革という大きな流れの中で、携帯電話、スマートフォン、ラップトップPCなどIT機器の電源として大きく成長してきました。さらに2010年からは車載用(電気自動車)という次の用途展開が始まり、その本格的な普及に向けて重要な時期を迎えています。
としながら、さらなるリチウムイオン電池の発展のため、
これからも最前線で活躍していくと話しています。
スーパーおじいちゃんですね!
リチウムイオン電池は太陽光発電や
風力発電の蓄電池としても活用の幅が広がっています。
これから更に研究が進むことによって、
自然エネルギーのより効果的な蓄電が可能となれば、
今問題となっている原子力発電の問題も丸っと解決できてしまうので、
多方面から注目が集まりますね。
今回のノーベル賞受賞での賞金は、
日本円にして約1億円。
新しいものを研究開発するには、
多額の資金が必要です。
この賞金の使い道は吉野氏の自由ではありますが、
ほんの一部でも、ぜひ今後の開発に役立ててほしいですね。
吉野彰(よしのあきら)の経歴まとめ!
1970年3月 | 京都大学工学部石油化学科卒 |
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1972年3月 | 京都大学工学研究科修士課程修了 |
1972年4月 | 旭化成(株)(旧旭化成工業(株))入社 |
1992年3月 | 旭化成(株)イオン二次電池事業推進部商品開発グループ長 |
1994年8月 | (株)エイ・ティーバッテリー技術開発担当部長 |
1997年4月 | 旭化成(株)イオン二次電池事業グループ長 |
2001年5月 | 旭化成(株)電池材料事業開発室室長 |
2003年10月 | 旭化成フェロー |
2005年8月 | 旭化成(株)吉野研究室室長 |
2010年4月 | 技術研究組合リチウムイオン電池材料評価研究センター理事長(現在) |
2015年10月 | 旭化成(株)顧問(現在)九州大学エネルギー基盤技術国際教育研究センター客員教授(現在) |
2017年4月 | 旭化成(株) 名誉フェロー(現在)、名城大学大学院理工学研究科 教授(現在)、九州大学エネルギー基盤技術国際教育センター 客員教授(現在) |
ずらずらと色々な肩書きが並んでいますが、
晩年は特にすごいですね・・・!
一体どれだけの役職を兼任されるのか・・・!!
現在も名城大学で教授をされているようですし、
まだまだ第一線でご活躍されているのですね!
見た目は優しくて笑顔が可愛いおじいちゃんといった感じですが、
実はエネルギッシュですごい研究者ということですね!
吉野彰(よしのあきら)の学歴は?小中高を調査!
吉野氏は大阪府吹田市出身で、
小学校は吹田市立千里第二小学校、
中学校は吹田市立第一中学校、
高校は大阪府立北野高等学校と、
青春時代を生まれ育った大阪で過ごしています。
その後、大学は京都大学に進学し、
京都大学院の修士課程まで進んで卒業されています。
卒業後は旭化成工業株式会社に入社しますが、
2005年、56歳という年齢で大阪大学にて博士課程を取得されています。
さらっと書いてありますが、これって本当にすごいことです。
博士課程はそもそもそんなに簡単に取れるものではないですし、
いくら研究成果によって取得できるといっても、
56歳という年齢での取得はそう優しくはないです。
旭化成工業株式会社では、
今回のノーベル賞受賞に至ったリチウムイオン電池の原型を完成させ、
日本の技術革新に大きく貢献した人物です。
普段何気なく使っているスマホやPCにもリチウムイオン電池は使われています。
これから普及するであろう、電気自動車にも使われます。
そう考えると、今現在の便利な生活は
吉野氏の研究によってもたらされたものだということですね。
研究者というのは皆そういうものですが、
人々の更なる良い暮らしのために、
自分の努力を惜しみなく注ぎ、
知らず識らずのうちに世の人々にとって、
大きな影響力がある人物に上り詰めるものです。
こうして学歴や経歴を見ると、
吉野氏はまさに人々の暮らしを良くするために
身を粉にして貢献し続けた人物です。
生涯を勉強・研究に費やしたからこそ、
71歳という年齢で過去の功績を認められるに至ったんだなぁと
感慨深く思いますね。